プラグライトスタジオ

本を読んだり、いろいろ考えたり、幸せに生きようともがいたりします。

  本を読んだり、考えたり、いろいろもがいたりします。

病みあがりのうた

こんにちは。

先日風邪ひいたと書きましたが、インフルエンザでした。

こんなにあったかくなってから風邪をひくなんてと思ってましたが、ウィルスによるものなら仕方ないですね。

あの文章を書いた後病状は悪化し、寝ようとしても寝付けない、息をするのも、唾を飲むのもツライという死ぬほど辛い目にあいました。

 

しかしその後、面白い現象に出会いました。

病院で点滴を打ってもらい、家に帰って上に書いたような辛い症状で、ベッドの中でもんどり打っているといつの間にか眠っていたようです。

パッと目が覚めたとき、薬が効いたのでしょう先ほどまでの辛さが嘘のように吹き飛んでいました。

正確には関節の痛みなどは残っていましたが、意識がいつもの自分に戻っていたのです。

さっきまで息もできない目も開けられないという状況だったのに、目の前に広がるのはいつも通りの自分の部屋でした。

意識が混濁していた時にはこんなにもツライことはないという感じだったのに、いざ薬が効くとさっきまで一体何がそこまで苦しかったのか思い出すのが難しいほど突然普段通りにもどりました。

 

この経験から一つ考えました。世界とか人生とかも同じなんじゃないかと。

今自分はこの世界が死ぬほどツライと思っていても、薬が効いたら実は苦しくなかった頃と同じ世界が自分の周りには広がっていることに気づく。

最近私は生きづらさから世間とか社会とかそういうのばかり研究していたけれど、

自分に対して薬を打てば世間とか社会とかそんなのばかり考えなくても良いのではないかと。

 

何だかとてもシンプルな発想で、四捨五入したら30にもなるようなこんな歳でやっとこれに気がついたかと自分でも少し呆れますが、今回の経験で知識としてでなく感覚として理解することができました。

 

このブログでは、生きていくために社会とかについて考えようかと思ってましたが、それをしても暗くなっちゃうばかりで解決に至りそうにないと薄々思っていたのでもっと明るい、自分にとって薬になるような文章を次回から書こうかなと考えがガラリと変わるそんな経験でした。

 

次回からは明るいことを書きます。

それでは。

 

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風邪ひきのうた

こんにちは。

風邪をひきました。

四月も半ばだというのに油断しました。

明日朝早くから大事な用事あるのにも関わらずです。

 

今日は一日中寝とかないといけないのですが、手元にipadがあり、ipadの中にはブログを書くアプリがあるので、

徒然なるままに特にテーマも決めず書いて、この手持ち無沙汰を埋めたいと思います。

布団の中で書いてるんでタイトルは、布団日記…布団(田山花袋)…いややっぱカッコイイの思いつかないです。

 

小説書きたい話

私は中学生の頃から小説家になりたかったのです。それも猛烈に。

本が好きっていうのもありますが、極端に人が苦手なので。

小説家になりたかったので、辛いことがあってもコレも話のタネになると思い、やり過ごすクセがつきました。

今の職業を選んだのもいずれ私が小説を書くことになったとき、話のタネになるかもと思ったからです。

しかし辛いことに耐える小説の主人公と、同じ境遇に立たされたとき自分は全く耐えられませんでした。

自分が探してるものは、世界中みんなが探してる答えなんだ。それを自分が見つけてみんなに教えて、みんなが救われて、っていうのを妄想してました。というか今もしてます。

私が逃げた辛い状況に今も耐え続けてる先輩たちがいます。私に優しくしてくれた先輩を、自分が優しくもらってないのに私に優しくしてくれる先輩を、人間的に素晴らしい方だと本当に尊敬してます。

私のペンネーム(青井蛇之助)はその方ともう一人尊敬する先輩の名前を勝手に拝借してもじったものです。

先輩があの状況、勝手に分析して先輩に失礼ですが、激しすぎる労働環境の絶望的な状況からハッピーエンドに向かうにはどうしたら良いのか、先輩のため、世界中の人のため、いつか作りたい自分の作品のため考え続けてます。

 

『孤独論』の話

田中慎弥さんの『孤独論』という本があります。仕事や人間関係のせいで現代社会の人々は「奴隷」状態にある。そこから抜け出すには、逃げるしかない、孤独になるしかないというような本でした。

とてもとても勇気付けられる本でした。高校卒業後働かず、図書館で本を借りては読むだけの20代、30歳で小説家になって、芥川賞を受賞する作家になるまでの経歴が書いてありました。

自分が田中さんと全く同じだなんてとても言えませんが、孤独で、本を読むのが好きで…自分もこう生きたいと考え、無職になってからの読書に拍車をかけた一冊です。

田中さんは小説家になろうと思っていたわけではなく、ただ窓から見える景色を文章にしたりしているうちに他人に読ませるということを意識し始め、文章を書き始めて数年でプロデビューしたそうです。

 

田中さんが言ってたことを勝手に解釈するとこういう感じです。ただ書けばいい。カッコイイこと書こうとするんじゃなくて文章にすることに慣れればいい。

私は他人に見せる文章なんて読書感想文の宿題くらいしか書いたことがないので、これからもこのブログをカッコつけずに、ただ他人に伝えることは意識して書き続けようと思います。

 

ここまで長いこと書いたのでさすがにもう寝ないと風邪が回復しないですね。

寝ます。

 

それでは。

 

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毎回一枚絵を書くことを目標にしてますが今回は厳しいです。


追記:病院行ったらインフルエンザでした。これを書いた後死ぬほど辛かったです。今は薬が効いて楽になりましたが、四月でもこんなことあるんですね。

 

探しもののうた

こんにちは。

今回は前回書ききれなかった自分が探し続けてる「日本語のすき間」ってものの話をしていこうと思います。

 

ほかの言葉で言い換えると

とは言ってみたものの、私もこれについてよくわかってないんです。

本を読んでいると、人生とかそういう答えのないものに答えみたいなものがありそうななさそうな、そんな感覚です。

なんとか他人に説明しようと言い換えを探していました。

するとかなりわかりやすい説明を中沢新一さんの『ポケモンの神話学』という本に見つけました。

 

 

気持ちのいい草原と穴の話

これを中沢さんの言葉で説明しようとしても、またかなりの長文を引用してこないといけないので中沢さんの使った比喩と私なりの解釈で説明します。

 

たとえばあなたがどこまでも広がる草原にいたとします。

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どこまでも広がる草原と青い空

 

あなたは地平線の向こうはどうなってるのか気になったので草原を歩いていきます。

草原はとても広く歩いても歩いてもまた新しい地平線が見えるばかりで、どこまでも歩いていけるような気がします。

あなたは草原を歩くことが気持ちよくなって、スピードを上げて思いっきり走り始めます。

走っても走っても尽きることはない草原のことが好きになって、どこまでも走りたいと思い前だけを見つめて走り続けます。

 

しかし、突然草原におわりが訪れます。

草原には「へり」があったのです。

「へり」の先は真っ暗で何も見えません。

あなたは今まで走ってきた草原を振り返ります。

よくみると、草原や青空に穴が開いていて、穴の向こうには「へり」と同じ暗闇が広がっている。

あなたが穴の暗闇を除くと、恐ろしい風が吹き荒れて、恐ろしい声が轟いて、理解を超えた異形のものがうじゃうじゃと湧いています。

 

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走り続けて初めて見えた草原の本当の姿

穴の存在に気が付いて、今まで大好きだったこの草原が急に恐ろしくなります。

そして走ることが大好きだったあなたは、この穴の向こうに広がる暗闇へも走っていきたいという欲求と、穴の向こうの暗闇が非常に恐ろしいという直感の板挟みに悩みます。

 

この草原に居ながらにして穴の中を知るすべはないだろうか。

穴の中に入って草原に戻ってくるすべはないだろうか。

危険だと直感が叫んでいるのにどうしても知りたい。

理解不能な穴のことなど無視すればいいのに、無視しても走り回れるくらいこの草原は広いのに穴が気になる。

あなたは穴の正体はいったい何なのか考え続け、ついに草原を走ることより穴の中をのぞくことのほうが好きになってしまったのでした。

 

草原の話の整理

比喩が長くなりすぎてしまいました。すみません。

この話の草原というのは、人間の認知世界のことです。

生きていて世界というものがわかってくると、あるいは本をたくさん読んで世界のことを知ると、どんどん草原の向こうへ、地平線の先へ走っていくことができます。

 

本を読んでいれば、普世界のすべてを知ることができると信じていたのに、ある日どんなに本を読んでも答えの見つからないものが見つかる。

どんなに進もうとしても暗闇が続くばかり、先ほどの比喩でいう「へり」ですね。

また「へり」の存在に気づいてからは、自分がわかっていると思っていたものも、「へり」の向こうと同じでいくら考えても、いくら本を読んでもわからないものがある。

 

問題:穴の向こうに何があるか答えよ 答え:わかるか!

中沢さんはこれを「対象a」と呼んでいました。

 

私は日本語でものを考えるので、私の認知世界は日本語でできています。草原に生えてる草の一本一本は日本語なのかもしれません。

私はこの説明できない謎のもやもやは、日本語が欠陥言語だからだ、ほかの言葉ならきっと説明できるはずだと考えました。

だって私でも存在に気づいてるんだから、問題だけ出題されて答えがないなんてありえないよ、このもやもやの正体は世界のどこか天才が解いてくれてるはずと思っていました。

だから日本語で説明できない「日本語のすき間」と心の中で読んでいたのに、「対象a」とか「小文字の他者」って外国語でも謎のものとして名前が付けられてることを知りました。

世界中の人が謎だ謎だって言って答えが見つかってないものがあるなんて。

私が名前だけは知ってるフェルマーの最終定理だって360年後に解かれたのに、こちらは人間が文章書き始めてから、何千年も経つのにまだ誰もが謎だ謎だって言い続けてます。

 

ってことは私すべきことは?

ありとあらゆる本を読んでも答えはないけど、ヒントみたいなものは見つけました。

私が見つけたい穴の向こうは仏教でいう「悟り」みたいなもので、だれにも同じ答えがあるのではなく一人ひとり別のものが答えとしてあるのではないかと考えだしました。

 

だからみんな芸術活動とかスポーツとか、一見意味のなさそうなこと頑張るんだってやっとわかりました。

私にとっては本を読みまくることだったけど、みんなはスポーツとかで自分の草原を走り回って、見つけた穴の向こうをのぞいていたんだって気づきました。

 

だからと言って仏教的な修行しようとかは思いません。これからも本を読み続けます。

そして穴の向こうを知ろうとした人々のことを調べたりして、自分も穴の向こうをのぞこうと思います。

 

さてやっとここまで書けました。次回からやっと穴の向こうをのぞこうとした人の話とか自分の考えとかを書いていって自分なりに穴をのぞき込もうと思います。

 

それでは。

 

今までのうた

こんにちは。

前回自分がどういう本読んでるかについて書きました。

今日は自分が本読みまくる理由について書こうと思います。

結論を先に述べると本を読みまくって知りたいことがあるからなのですが…

私と本の関係を中学生から順を追って、説明してからそれを言おうと思います。

 

中学生、本が好きになる。

中学一年のとき、公立の学校なら大体どこでもやってるそうですが、朝読書の時間というものがありました。

家から本を持ってきて朝15分読まなければいけないというものですね。

私はそれまで、本は教科書以外漫画しか読んだことのない人間だったので、面倒くさい、嫌だと思いながらいくつかの本を、先生に怒られないようにいやいや読んでいました。

 

たしか一年生の夏くらいだったと思います。たまたま有川浩さんの『空の中』の文庫版を、朝読書の時間に読むために持っていきました。この本を選んだ理由は表紙はきれいとかそんな理由だったと思います。

この本が、初めて本を読んでいて、苦しいではなく楽しいと感じた本でした。

もっと先を読みたい、朝読書の時間が終わらなければいいのに、以前の自分では考えられないようなことを考えるようになりました。

ここから休み時間でも授業中も隠れて、とにかく本を読みまくる本大好き人間に変わっていきます。

 

高校生、本の意味に気が付く

高校でも私は本を読みまくります。一年で100冊近い本を読む読書家になっていました。

こんなに読むとパターンのようなものに気が付き始めます。

恋のお話だったり、人生についてだったり、いろいろなお話があるけど、どれもお話を読み終わると何か今までわからなかったことが分かったような気になる。だけどそれを文章で表すのは難しい。

日本語で表せないけどお話とかを読んでたら確実にその存在は感じる、人間の知能を超えた知恵みたいなもの。

人間はそのどうしてもわかりそうでわからないものをわかろうとして、本を読んだり書いたりしているんだということに、このころようやく気が付き始めました。

私はこれを心の中で「日本語のすき間」と呼んでいました。

日本語では表せないけど、人間が感じられるんだから、俺みたいな馬鹿でもわかりかけてるんだから、日本語じゃない世界のどこかの言語でこれを、つまりわかりそうでわからないものを言い表すことが出来るんだと信じていました。

 

大学生、本を読まなくなる

私が通う大学では本を読んだらそれを紙に書いて報告してくださいというものがありました。年度ごとに学科で一番本を読んだ人を表彰するとのことでした。

これで私の読書への熱は一気になくなりました。たとえ先生たちに止められてでも、読み続けたいという熱い思いは、他人のためになんか絶対に読みたくないという氷点下にまで落ち込みました。

本を読んだら褒めてもらえるんだから自分のためでは?と思うかもしれませんが、要は先生が学生に本を読んでもらいたいからやっていることなのです。先生を喜ばせるための読書なんてしたくないので、今まで空き時間どころかやるべきこともせずにしていた読書の時間はすべてゲームに費やされました。

4年間で10冊も読まなかったです。やっぱり自分は本が嫌いだったんだ、小学生のころはそうだったもんなと考えていました。

 

社会人、本に助けを求める

社会人になって最初に入った会社は、非常に激しい労働体系の会社だと気づかずに入社してしまいました。

どんどん心が荒んでいき、ゲームも食事も睡眠も、今まで私の心を癒してくれたものは効果がなくなり、これらの時間は無くなっていきました。

大学生のころ、近所の本屋で売ってないゲームの攻略本を買うために電子書籍アプリをダウンロードしていました。社会人になってから初めて電子書籍には安売りがあること知り、たまたま安かったので、哲学や宗教の本を買いました。

本当に一切合切に対してやる気がなく、これから私の心は一度も動くことなく、死ぬまでこのままだろうなと思っていましたが、読書に対してだけはやる気がおきました。

それは内容が哲学や宗教だったからではなく、読書という行為そのものが私を救ってくれているのだと感じました。

 

現在、本が生きがいになる

いくら本を読んで心が救われるといっても、それは本を読んでいる一瞬のことだけであって、私はもう耐えきれなくなって新卒で入った会社をわずか半年で退社しました。

その後就職活動を続けていますが数年たった今でも、無職のフリーターです。

今はバイトしながら前回書いたような本を読んでいろいろ考えたりしながら、なんとか生きています。本を読んでなかったら死んでるも同然な毎日です。

 

自称「人間」たちへ、人間じゃない者からメッセージ

よくニートは努力しろなんて意見を聞きますが、無職の人間から言わせてもらうと、はっきり言って無理です。

もう心が働かないんです。何に対してもやる気が起きません。

私の場合はかろうじて読書という唯一残されたモチベーションがあって、それを見つけることができたのでなんとか人間として心を保てています。やる気が起きるものがない無職の人の気持ちも想像できます。久しぶりに読書するまでの私は、はっきり言って人間じゃなかったです。

少し脱線しちゃいました。会社辞めてすぐのこと思い出すとどうも感情的になってしまいますね。

 

今回書きたかったことと次回予告

私が高校生のころ見つけた「日本語のすき間」の正体をみつけるため、今も読書を続けています。

今回最初に言った知りたいことというのがこれですね。

ほんとはこの「日本語のすき間」と名付けたものについて詳しく書きたかったけど長くなったので今回はここまでにします。

次回は「日本語のすき間」について詳しく書きます。

それでは。

 

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暗闇の中で見つけた光



 

始まりのうた

こんにちは。

今日からブログというものを始めます。

このブログは私が生きてていろいろ考えたことや、本を読んでいろいろ考えたことを

友人に話す前に一旦文章にするためのメモ帳のようなものです。

 

さて今回は初回なので、自分が今までどんなこと考えてきたかと何に興味があるかを書きます。

 

1.いろんな生き方について

 普通に生きてるのに、死にたいくらい辛いって人私だけじゃないと思います。そこで私は、普通から外れた人の方が幸せなんじゃないかって思いました。ヘンリー・ダーガーなどに代表される、いわゆるアウトサイダーアーティストと呼ばれる人々の人生について調べてました。

 

2.ゴジラポケモンについて

 ゴジラ好きなんです。大好きすぎて、語り出すと止まらなくなっちゃうので、これについてはさらっと流します。意外とこういうの、本気で学問として研究してる人がいて、本も結構出版されてます。これらについて私も研究して、いろ〜んなこと考えてます。

 

3.遠野物語グリム童話

 なんでグリム童話で王子様はカエルの姿で現れるのか。水(無意識の象徴)から陸(自分の意識の象徴)に上がってきたばかりの存在が、お姫様(王国は自分の心の象徴、その王国の支配者)に近づき、驚かせ心惑わせるかららしいです。こういうの知るとへぇーってなりますよね。

 

4.労働問題

 1番の研究でいろんな生き方を知ったけど現実問題、アーティストたちのように生きていくのは難しいです。自分の生きてる社会がどんなもので、自分はどういう身の振り方をすれば幸せに近づけるのかについて、いろいろ調べました。

 

5.雨月物語

 最近研究してるのがこれです。上田秋成という江戸時代の小説家が書いた作品です。三島由紀夫泉鏡花もこの世で一番面白いって言ってたそうです。研究すればするほど面白いです。

 

6.数学者たちの生き様

 数学の才能って何かっていうと計算能力とか、公式をたくさん覚えてるとかそういうのを思い浮かべますが違うそうです。世界を正しく見る力、これが数学のセンスらしいです。数学者ってアーティストよりもアーティストのような一生を送った人が多いのでこれも今研究してます。とても面白いです。

 

 

上から順に私が研究した順番に並べました。

こういうのを読むとき私は筆者が何歳なのかっていうのをすごく気にします。

18才と81才が同じ文章を書いていても、意味は全然違うと思うからです。

なので自分の年齢を書いておくと平成5年生まれの25才です。

23才からこういう風にいろいろ考えたり研究したりし始めました。

 

次回から考えたことを少しずつ書いていきます。

よろしくお願いします。

 

 

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