プラグライトスタジオ

本を読んだり、いろいろ考えたり、幸せに生きようともがいたりします。

  本を読んだり、考えたり、いろいろもがいたりします。

探しもののうた

こんにちは。

今回は前回書ききれなかった自分が探し続けてる「日本語のすき間」ってものの話をしていこうと思います。

 

ほかの言葉で言い換えると

とは言ってみたものの、私もこれについてよくわかってないんです。

本を読んでいると、人生とかそういう答えのないものに答えみたいなものがありそうななさそうな、そんな感覚です。

なんとか他人に説明しようと言い換えを探していました。

するとかなりわかりやすい説明を中沢新一さんの『ポケモンの神話学』という本に見つけました。

 

 

気持ちのいい草原と穴の話

これを中沢さんの言葉で説明しようとしても、またかなりの長文を引用してこないといけないので中沢さんの使った比喩と私なりの解釈で説明します。

 

たとえばあなたがどこまでも広がる草原にいたとします。

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どこまでも広がる草原と青い空

 

あなたは地平線の向こうはどうなってるのか気になったので草原を歩いていきます。

草原はとても広く歩いても歩いてもまた新しい地平線が見えるばかりで、どこまでも歩いていけるような気がします。

あなたは草原を歩くことが気持ちよくなって、スピードを上げて思いっきり走り始めます。

走っても走っても尽きることはない草原のことが好きになって、どこまでも走りたいと思い前だけを見つめて走り続けます。

 

しかし、突然草原におわりが訪れます。

草原には「へり」があったのです。

「へり」の先は真っ暗で何も見えません。

あなたは今まで走ってきた草原を振り返ります。

よくみると、草原や青空に穴が開いていて、穴の向こうには「へり」と同じ暗闇が広がっている。

あなたが穴の暗闇を除くと、恐ろしい風が吹き荒れて、恐ろしい声が轟いて、理解を超えた異形のものがうじゃうじゃと湧いています。

 

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走り続けて初めて見えた草原の本当の姿

穴の存在に気が付いて、今まで大好きだったこの草原が急に恐ろしくなります。

そして走ることが大好きだったあなたは、この穴の向こうに広がる暗闇へも走っていきたいという欲求と、穴の向こうの暗闇が非常に恐ろしいという直感の板挟みに悩みます。

 

この草原に居ながらにして穴の中を知るすべはないだろうか。

穴の中に入って草原に戻ってくるすべはないだろうか。

危険だと直感が叫んでいるのにどうしても知りたい。

理解不能な穴のことなど無視すればいいのに、無視しても走り回れるくらいこの草原は広いのに穴が気になる。

あなたは穴の正体はいったい何なのか考え続け、ついに草原を走ることより穴の中をのぞくことのほうが好きになってしまったのでした。

 

草原の話の整理

比喩が長くなりすぎてしまいました。すみません。

この話の草原というのは、人間の認知世界のことです。

生きていて世界というものがわかってくると、あるいは本をたくさん読んで世界のことを知ると、どんどん草原の向こうへ、地平線の先へ走っていくことができます。

 

本を読んでいれば、普世界のすべてを知ることができると信じていたのに、ある日どんなに本を読んでも答えの見つからないものが見つかる。

どんなに進もうとしても暗闇が続くばかり、先ほどの比喩でいう「へり」ですね。

また「へり」の存在に気づいてからは、自分がわかっていると思っていたものも、「へり」の向こうと同じでいくら考えても、いくら本を読んでもわからないものがある。

 

問題:穴の向こうに何があるか答えよ 答え:わかるか!

中沢さんはこれを「対象a」と呼んでいました。

 

私は日本語でものを考えるので、私の認知世界は日本語でできています。草原に生えてる草の一本一本は日本語なのかもしれません。

私はこの説明できない謎のもやもやは、日本語が欠陥言語だからだ、ほかの言葉ならきっと説明できるはずだと考えました。

だって私でも存在に気づいてるんだから、問題だけ出題されて答えがないなんてありえないよ、このもやもやの正体は世界のどこか天才が解いてくれてるはずと思っていました。

だから日本語で説明できない「日本語のすき間」と心の中で読んでいたのに、「対象a」とか「小文字の他者」って外国語でも謎のものとして名前が付けられてることを知りました。

世界中の人が謎だ謎だって言って答えが見つかってないものがあるなんて。

私が名前だけは知ってるフェルマーの最終定理だって360年後に解かれたのに、こちらは人間が文章書き始めてから、何千年も経つのにまだ誰もが謎だ謎だって言い続けてます。

 

ってことは私すべきことは?

ありとあらゆる本を読んでも答えはないけど、ヒントみたいなものは見つけました。

私が見つけたい穴の向こうは仏教でいう「悟り」みたいなもので、だれにも同じ答えがあるのではなく一人ひとり別のものが答えとしてあるのではないかと考えだしました。

 

だからみんな芸術活動とかスポーツとか、一見意味のなさそうなこと頑張るんだってやっとわかりました。

私にとっては本を読みまくることだったけど、みんなはスポーツとかで自分の草原を走り回って、見つけた穴の向こうをのぞいていたんだって気づきました。

 

だからと言って仏教的な修行しようとかは思いません。これからも本を読み続けます。

そして穴の向こうを知ろうとした人々のことを調べたりして、自分も穴の向こうをのぞこうと思います。

 

さてやっとここまで書けました。次回からやっと穴の向こうをのぞこうとした人の話とか自分の考えとかを書いていって自分なりに穴をのぞき込もうと思います。

 

それでは。